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【追悼】モード界の帝王であり、世界で最も成功したバイセクシュアル男性でもあるジョルジオ・アルマーニ
イタリアのファッションデザイナー、ジョルジオ・アルマーニ氏が死去したことが発表されました。91歳でした。『Vogue』の言葉を借りれば、「ジャケットを再構築し、グレージュを生み出し、メンズ、ウィメンズともにスーツに革命をもたらした“モード界の帝王”」でした。アルマーニがファッション界にどのような功績を残したか、どれだけ成功したか、といったことについては様々なメディアで語られていますので、PRIDE JAPANではLGBTQの視点での追悼記事をお届けします。
アルマーニ社はファッションだけでなく美容、香水、音楽、スポーツ、高級ホテルなどにも事業を拡大し(そのような多角経営を始めたデザイナーのさきがけでした)、年間約4000億円もの収益を上げていました。アルマーニ自身の純資産は100億ドルを超えています。カムアウトしたバイセクシュアル男性のビリオネアは世界でアルマーニだけです(LGBTQ全体でも2人だけです)。いくらゲイだらけのファッション業界とはいえ、カトリックの影響が強いイタリアで、同性愛に対する蔑視や差別にも負けず、ここまで成功したというのは並大抵のことではありません。それだけでもレジェンドと言ってよいのではないでしょうか。
あまりにも成功し、裕福になったため、ネット上では“金の亡者”であるかのように揶揄するコメントも見受けられますが、アルマーニは献身的な慈善家でもあり、COVID-19パンデミックに際してはイタリアの病院や医療機関に数百万ユーロを寄付し、また、人道支援や文化プロジェクトの継続と支援を確実にするためにアルマーニ財団を設立しています。
そして、ジョルジオは、一緒にブランドを立ち上げた公私にわたるパートナーをエイズで亡くすという、このうえなく悲しい経験を乗り越えてきた方です…。ほとんど語られることがなかった彼の愛の生活について『Out』誌がまとめてくれていたので、ご紹介します。彼がどれだけ深くパートナーを愛していたかがよくわかる記事です。
(以下、抄訳です)
モード界の帝王は記念碑的なレガシーを遺した――そして最も偉大なLGBTQの著名人の一人だった――しかし、ジョルジオ・アルマーニは私生活については極めて秘密主義的だった。ただ、ほんの少し、彼がセクシュアリティやパートナーについてインタビューで語ったことがあるので、見ていこう。
2000年の『Vanity Fair』
世界的な名声を博していく間も、彼はプライベートについては多くを語らなかった。しかし、2000年の『Vanity Fair』誌のインタビューで、愛の生活について語っている。「私の人生には女性がいた。時には男性も」。そしてアルマーニは、長年にわたるパートナーだったセルジオ・ガレオッティと恋に落ちたときのことも語った。1966年、アルマーニが32歳のときだ。
「(アルマーニは彼より9歳上だったので)彼はすぐに私をパパと呼び、私もそれに応えた」「それは突然、深い愛情の結びつきになった」
二人はブランドを一緒に経営した。ガレオッティが85年にエイズで亡くなるまで。
「彼はいつもそこにいる。私の頭の中にもいる。彼が階段から降りてくるのが見える。そして庭でタバコを吸い、友達と語らう。彼はいつもそこにいるんだ」
2024年の『Corriere della Sera』
最も最近のインタビューは、昨年10月の『Corriere della Sera』誌だ。アルマーニは女性と初めてセックスしたときのことだけでなく、初めて若い男の子に恋したときのことも語った。
「これは今まで誰にも話したことはなかった」「Misanoのビーチの日陰でそれは起こった。午後5時だった。サマーキャンプの男の子たちが穏やかに過ごしていた。その男の子たちを指導してる若い男を見た瞬間、惹かれたんだ。その時は自分でもその意味を完全には理解していなかったし、彼を追い求めようともしなかった。しかしその瞬間から、私の人生は異なったターンに入っていったんだ」
アルマーニは、その感情がどういうことなのか、探索しなければいけなかった。「それが何だったのか理解できなかった。その時は男女の区別がなかったんだ。ただ何か美しいものに惹かれた。彼に近づき、触れて…私は偉大なつながりを感じた」
アルマーニはガレオッティについても語った。その「トスカーナの笑顔」に惹かれたということも。
「セルジオが死んだとき、私の一部も一緒に死んだ。私の中に、そのような計り知れない痛みに耐える回復力があることには驚いた」
「病床のセルジオのそばにいた時間、痛み、苦悩をなんとかやり過ごすために、私は意志の力を活用しなければならなかった。それは私のキャリアがスタートしてから起こったことだった。私たちは有名になり、会社を設立し、世界的な名声も得ていた。自信も得ていた。そのさなか、彼の死に打ちのめされたんだ」
アルマーニは『Corriere della Sera』にレオ・デロルコとのパートナーシップのことも明らかにしている。彼はアルマーニブランドのメンズ部門のデザインチーフだった。二人は結婚もしなかったし、アルマーニはデロルコとのパートナーシップに名前を与えようとはしなかったけれども、「ダイヤモンドが散りばめられた素晴らしい指輪」をつけていたことや、それが一度、火の中から救出されたこともシェアしている。
「よく考えたし、認識もしてるんだけど、恋愛にさほどウェイトを置いていないんだ。私は恋愛用のスペースをあまり持ち合わせていないから」「だけど、レオには深い愛情を抱いている。彼は何年も一緒に生きてくれた。私に最も近い人物だ」
2025年の『Financial Times』
今週初め、アルマーニは自分が死んだ後、その帝国に何が起こるかをアナウンスした――彼はレオを指名した。「私の継承のプランは、責任の段階的な移行で構成されている」と『フィナンシャル・タイムズ』に語った。「私はずっと(この継承を託すのは)レオだと思ってきた。私の家族であり、ワーキングチームの一員だ」「この継承がorganicなものとなり、破裂しないことを願っている」
ブランドが成功し、有名になっていたときに、一緒に会社を立ち上げた最愛のパートナーであるセルジオをエイズで喪うという悲劇を乗り越えなければいけなかったこと――本当に辛く、大変なことだったと思います。今でも彼の姿が見える、ずっとそこにいると語るジョルジオ――切ないですよね。本当に彼のことを愛していたんだな、と思わされます。
レオとは結婚こそしていないけれども(生涯、誰とも結婚しませんでした。また、イタリアでは同性婚は認められていません)、やはり数十年にわたるパートナーであり、彼を信頼し、最後に彼を公に家族と呼び、事業の継承を彼に託したというのは胸を打たれる話ではないでしょうか。
参考記事:
Was Giorgio Armani gay? A timeline of his coming out and Leo Dell'Orco relationship(Out)
https://www.out.com/fashion/giorgio-armani-gay-married-leo-dell-orco