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芥川賞作家の李琴峰さんがアウティングを受けたとして甲府市議を提訴
芥川賞作家の李琴峰(り・ことみ)さんが6月5日、自身がトランスジェンダーであることや過去の氏名などの未公表情報を暴露されたとして、村松裕美甲府市議を提訴しました。プライバシー権・人格権の侵害や名誉毀損に関し500万円の損害賠償を請求する民事訴訟です。弁護団によると、性的指向や性自認を本人の了承なしに暴露する「アウティング」で公職者を提訴するのは全国で初めてです。李さんは「本当は提訴したくなかった」「同じような被害が少しでも減るように行動しなければならないと思った」と語っています。
台湾出身の李さんは、来日前に性別変更手続きを行ない、法的に性別は女性になりました。台湾でいじめやハラスメントに遭ったことから、知人のいない日本に逃れようとして2013年、日本の大学院に入学しました。卒業後、翻訳や通訳の仕事で生活する傍ら、2017年に小説家デビューを果たしました。2021年に『彼岸花が咲く島』で芥川賞を受賞しました(日本語以外を母語とする作家として史上2人目の快挙です)
李さんはレズビアンコミュニティに関する作品を多数、発表してきましたし、自身がレズビアンであることもカムアウトしていました。しかし、トランス女性であることは公にはしておらず(おそらくほとんどの方は気づかなかったのではないでしょうか)、昨年11月20日(国際トランスジェンダー追悼の日)、50名を超える小説家が「LGBTQ+差別に反対する小説家の声明」を発した日に、執拗な誹謗中傷・ヘイト・アウティングに堪えかね、カミングアウトを余儀なくされました。
被告の村松裕美甲府市議は2024年5月下旬、自身のFacebookアカウントで李さんを名指して「身体が男性で手術もしていません」「身体男性の女性でレズビアン、つまり恋愛はノーマル」などと投稿しました(以下「投稿A」)。同月28日、投稿に気づいた李さんは警察に相談し、29日、警察官から電話で注意を受けた村松議員は投稿Aを削除しました。しかし、同日、村松議員は「真相を確かめたわけではなかったので先の投稿は削除した」「断定的な投稿をしたことに関して謝罪する」という旨を表明したうえで、別の人物による投稿のスクリーンショットを貼り付けました(以下「投稿B」)。その中には、李さんの未成年時の写真や過去の氏名など未公開の機微な個人情報も含まれ、「女性自認の身体男性」「法的女性でもないみたい」「性別適合手術もしていないのかしら」などの言葉が書かれていました。李さんは「警察に相談した結果、さらに悪質な投稿をされることになった」「次に警察に相談したら何をされるかわからない」と考え、今回の提訴まで、村松議員に関して対応を取れなくなったといいます。2024年6月、李さんは心療内科で適応障害と診断を受けました。なお、投稿Bは2025年6月5日時点で削除されていません。
原告側の発表によると、この訴訟は「公職者によるアウティングや名誉毀損に対して、LGBTQ+(性的マイノリティ)の当事者が提訴する日本で初めての訴訟」であり、また「SOGIのアウティングの違法性を認め、アウティング投稿記事の削除請求と損害賠償請求を認容する、日本での初めての判決を目指すもの」です。
この訴訟で請求する内容は、投稿Aに関する損害賠償200万円、投稿Bの削除および投稿Bに関する損害賠償300万円です。投稿Aについては李さんがトランスジェンダーであることを暴露している点がプライバシー権侵害、身体の形状について断定していることが自己コントロール権侵害にあたるほか、名誉毀損・名誉感情侵害にも当たるとしています。投稿Bについてもプライバシー権侵害や自己情報コントロール権侵害、名誉毀損・名誉感情侵害にあたるほか、写真の掲出は肖像権も侵害しているとして、投稿の削除と損害賠償を求めます。
2020年11月25日、ゲイの学生のアウティングをめぐる訴訟(「一橋大学アウティング事件」)の東京高裁判決で、アウティングは個人の「人格権ないしプライバシー権などを著しく侵害するものであって、許されない行為」と判示されました。また、2023年10月25日には性同一性障害特例法の違憲訴訟の最高裁大法廷決定で、自身の性自認にしたがって法的な性別の取扱いを受けることは「個人の人格的存在と結び付いた重要な法的利益」と示されています。原告側はこれらの裁判例に基づきながら、村松議員の両投稿は李さんの「人格権およびアウティングされることなく差別されずに平穏に生活する権利」も侵害していると主張します。
提訴後に開かれた会見で、原告代理人の井桁大介弁護士は「そもそも(誰が行なおうと)アウティングは法的に重要な問題である」としつつ、選挙により多数の支持を得て当選した公職者は私人よりも重い責任を負っていると指摘しました。
李さんは、「この世界には、特定の人たちにしか襲ってこない嵐があります」と語りました。「私が道を歩いていたら、急に一方的に殴られて、仕方なく自分を守る行動を取らざるを得なかった、ということです」「他の人にとっては雨も風も感じられず、ただ日常が続いているだけですが、特定の人たちにとっては、平穏な生活を崩されて、何もかも奪われるような、そんな嵐です」「私がしたいのは、ただ小説を書くこと、自分の言葉を読者に届けること、それだけです。しかし私が何もしていなくても、嵐の方が勝手にやってきて、私の生活を壊していったのです」「被告は、私とは全く面識のない人物です。当然ながら私は恨みを持ったこともないし、恨みを持たれるようなことをしたこともありません。ある日突然、一方的に機微な個人情報をさらし上げられたのです」「トランスジェンダーは、たえず性暴力にさらされています。アウティングは、私たちから何もかもを奪う嵐なのです」「ほとんどのトランスの人は、被害を受けても泣き寝入りするしかありません。私が受けた暴力は決して許されないもの。司法にその判断を求める責任を果たしたい」
それから、当事者団体「Tネット」のアドバイザーで「李琴峰さんを支える会」の共同代表を務める高井ゆと里群馬大准教授は、トランスジェンダーが受けるアウティングには性自認の暴露、性別移行する前の(出生時に割り当てられた)性別の暴露、性別適合手術やホルモン治療を受けていること(実質的にトランスジェンダーであること)の暴露という3つのタイプがあると説明したうえで、「今の日本では、トランスジェンダーだと知られるだけで差別を受け、偏見にさらされる。アウティングは、当事者が血のにじむような努力で培ってきた生活を壊すもの。プライバシー情報は一度拡散すると、取り返しがつかない」と語りました。
なお、「李琴峰さんを支える会」は、アウティングを受けた李さんの苦しみは私たちの苦しみだ、李さんを独りにせず、支えていこうとの思いで立ち上がった会です。よろしければ会の公式サイトをご覧になってみてください。
参考記事:
芥川賞作家 “トランスジェンダー暴露された” 甲府市議を提訴(NHK)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250605/k10014826811000.html
芥川賞作家が市議を提訴 “アウティング”被害訴え(日テレ)
https://news.ntv.co.jp/category/society/e9bdc71e335041a796e8f65aa46a0c4d
“SNS投稿でトランスジェンダー暴露”芥川賞受賞作家が賠償求め市議会議員を提訴 「同じ被害が少しでも減るようにしたい」 東京地裁(TBS)
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1960206
【提訴】「身体は男性」トランスジェンダーであることを市議がSNSで暴露…芥川賞作家・李琴峰さん(35)“アウティング被害”訴え(FNN)
https://www.fnn.jp/articles/FujiTV/883006
「性別変更を暴露された」 芥川賞作家、甲府市議を名誉棄損で提訴(共同通信)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD05B280V00C25A6000000/
芥川賞作家・李琴峰さんアウティング被害で市議を提訴 SNS投稿を巡り、プライバシー権侵害や名誉毀損を訴え(時事通信)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2025060500942
「アウティングは何もかも奪う嵐」作家・李琴峰さん、提訴決意の背景(毎日新聞)
https://mainichi.jp/articles/20250605/k00/00m/040/099000c
トランスジェンダーだとSNSで暴露された― 芥川賞作家・李琴峰さん提訴「氷山の一角」(朝日新聞)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S16229701.html
「女性として生きてきた生活の破壊」 芥川賞作家が甲府市議の“アウティング”に対し損害賠償を請求(弁護士ドットコム)
https://www.ben54.jp/news/2339