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レポート:とやまプライドマーチ
9月21日、富山で初となる「とやまプライドマーチ」が開催され、県内外から集ったおよそ130人が、それぞれの思いを胸に、富山市中心部のアーケード街を行進しました
昨年10月、ダイバーシティラウンジ富山が開いた「レインボーデー」というイベントで富山初のプライドパレード開催を目指す話し合いが行なわれ、今年6月に開催のアナウンスがありました。特集:レインボーイベント2026 下半期でもご紹介していたように、シルバーウィークの9月21日(月祝)に「とやまプライドマーチ」が初開催されることになり、「私たちは富山(ココ)にいる」とのスローガンを掲げ、総曲輪(そうがわ)や中央通りのアーケード街を歩くことになりました。
9月21日(土)朝、大型の台風が関東に接近するというニュースがありましたが、富山にはさほど影響はないようだということで、予定通り開催するとのアナウンスがありました。
それでも午前中は雨模様で、もしかしたらパレードも雨降りの中の行進になるのかも…とちょっと心配になりました。
午前10時半頃、富山駅前を歩いていると、レインボーカラーが見えて、近づいてみたら全国のパレードに参加しているアライの方で、一緒に路面電車に乗って会場へと向かうことにしました(途中、富山城も見えて、よかったです)
会場はユウタウン総曲輪ウエストプラザという、市の中心地の商店街エリアの中にあるたいへん立派な施設(屋根付き)で、いろんな方が、「初めてでこんな立派なイベントってスゴいね」とか、「早い時間から来てたんだけど、9時頃集合してあっという間に会場の設営をやっていて素晴らしかった」と話していました。


11時半、出発前のステージイベントが始まり、なかがわさんがご挨拶しました。それから、全国から集まったたくさんの団体の方たちがスピーチしました。何人もの方が、今日は林先生の思いと一緒に歩く、と語っていました(下記の「振り返って」のところをご参照ください)。それから、前日に岐阜プライドウォークに参加した和田さんという方が、4年前に息子さんを亡くしたと語っていて(おそらくは息子さんはゲイで、自死で亡くなったのだと思い、2020年代にもなって、まだこんな悲しいことが続いているなんて…と思い)、泣きそうになりました。息苦しくて、生きていける自信がない地方のLGBTQのためにも、今日ここに来られない人たちのためにも、パレードを歩こうと、きっと多くの方が思ったはずです。
以下、ステージでお話くださったたくさんの方たちをご紹介します。登壇はしていないのですが、富山県知事と、台風の影響で来られなかったレインボー金沢の方のメッセージも代読されました。
レインボーハート富山のさわさんは、10年前に活動を始めたときは、こんな日が来るなんて夢にも思っていませんでした、感慨深いです、たくさんの方が来てくださり、勇気をもらっています、以前の調査で北陸がいちばんLGBTQへの嫌悪感が高いという結果もあり、性的少数者の困難はあるけれども、今日は「確かにここにいます」と歩きたい、ここに来られないけどメッセージを寄せてくれた方たちや中継を見てくれているみなさんも参加者です、このマーチが誰かの希望になれば、歴史的な日をやわやわと一緒につくりましょう、といったお話をしてくれました。
つながりのまど金沢(がりのま)の方は、初のプライドマーチの開催は、決して当事者だけじゃない、見えづらくされている人たちを見えるように、一人ひとりのまなざしを変えていくような新しい関係や可能性を生み出す場、革命を起こす力です、といったお話をしてくれました(すみません、写真がうまく撮れていませんでした…)
ELLY福井の方は、プライドの力を信じています、ここに来れない人もみなさんをプライドしてます、富山素晴らしい!と思える街にしていきましょう、といったお話をしてくれました。
レインボー敦賀の方は、見えないことにされて存在を否定される人たちを見えるように、問題として人生に関わることだとするために、可視化は重要です、といったお話をしてくれました。
ここラテ新潟の方は、富山県出身なので、今日のマーチの開催は本当にうれしい、「ここらて」は新潟弁で「ここだよ」という意味、地方で居場所がない、ここだと思えない方もいる、プライドがその一歩になれば、といったお話をしてくれました。
金沢レインボープライドの吉田さんは、開催にはいろいろ苦労があったと思いますが、空も晴れてきてよかった、金沢も10月2〜4日にやります、LGBTQも普通に暮らせるようになるために歩きましょう、といったお話をしてくれました。
以上は「LGBT支援北陸信越地方団体会議」に参加する団体のみなさんでした。ここからは、それ以外の団体の方たちです。
フラワーデモ富山の方は、わたしらしく、あなたらしくをモットーに性暴力被害者の支援をしています、来月デモがあります、声を上げることの大切さ、雨が降らなければ虹はかかりません、といったお話をしてくれました。
ハッピー・ウーマン・プロジェクトの方は、誰もが自分らしくいられるよう、居場所づくりの活動をしています、今日が大切な一歩となることを、といったお話をしてくれました。
TransgenderJapanの村田さんは、高校まで富山に住んでいました、ここも通学路でした、2000年代後半、学校に行けなくなった人もいる、富山にも存在しているとしっかり伝えていきましょう、といったお話をしてくれました。
ふくしまレインボーマーチの方は、数年前、自分の街でこういうことが、と感慨を覚えました、富山からお越しいただいてありがとうございます、今年は11/14にマーチを開催します、といったお話をしてくれました。
武蔵野市の「lag」という団体の方は、2016からノンバイナリー・トランスジェンダーの居場所作りの活動をしています、性別移行していることは地元では話していません、今日のような積み重ねあってこそだと思います、といったお話をしてくれました。
青森レインボーパレードの方は、今日一緒に歩けることをうれしく思います、青森と富山には共通点が多いと思っていて、雪がたくさん降るということ、雪は精神的に閉鎖的にしてしまうんですよね、マイノリティが声を上げる大変さ…みなさんが声上げる意味を実感しています、来たかった理由の一つは毎回富山からきてくださっていること、未来のマイノリティのために今日こんなにたくさん来られているのは素晴らしいです、といったお話をしてくれました。
レインボーフェスタ和歌山のQちゃんは、和歌山も共通するところがあって、スタッフでも「故郷を帰れる街に」なかなかできないということがあります、パレードは大事、協働できることがうれしいです、和歌山は2016年からレインボーフェスタをやっていて、今年も12月に開催します、来れない人、遠くから見てる人、いろんな人のために、持ってるプライドを大切にしましょう、といったお話をしてくれました。
大垣プライドマーチの方は、これまで3回パレードを開催した、最初は1人だった、大切なのは思いの共有、ヘイトが蔓延し、暗いニュースが届くなか、誰もが自分らしく生きられるよう、心を共にしていきましょう、といったお話をしてくれました。
岐阜プライドウォークの和田さんは、県外のプライドに参加するのは初めてです、息子が当事者で4年前に亡くなりました、今日は一緒に歩かせてください、と語り、涙を誘いました。同じくVENさんは、岐阜でYES!(婚姻平等)のことを教えてくれました。
山口レインボープライドの方は、やはり富山との共通点としてお寿司が美味しいということがあると話し、山口は2023年からパレードを開催しているけれども大変でした、今日はわざわざ富山から来てくれたお礼として参加しています、今日は岡山で、11月は広島でもパレードがありますと話してくれました
京都レインボープライドの方は、代表のロイさんからの、新たな虹の歩みをお祝いします、プライドマーチは大切な一歩、誰かの勇気になります、願いは繋がっています、暖かい光になりますように、というメッセージを読んでくれました。それから、10月に京都の宮津でも北部初のパレードがあると話してくれました。
そらにじひめじのだいすけさんは、2016年に熊本でパレードがありました、あの震災で「取り残された」人たち…我々はずっとそういう経験をさせられ続けています、今ここが安全かどうかもわからない、だからここだけは安全という場所を作っています、「渡良瀬橋」の歌詞が沁みます、今日は林先生の思いと一緒に歩きます、といったお話をしてくれました。
プラウドかがわの藤田さんは、小さい県ですが、他に負けてない活動をしています、地元の当事者は出て来にくい、けど頑張っています、富山のことも応援します、と話してくれました(この日は岡山でもパレードをやっていましたが、富山の応援のために来てくれたんだそうです)
大分レインボープライドの森さんは、阿蘇で弁護士をやっています、熊本で2016年にパレードがあったとき、林先生たちが車で来てくれました、今年は10/28に大分でパレードをやります、大分といえば温泉ですが、家族風呂がとても安いのでぜひ、大分のパレードはなぜかOPAの1階を1周するのが名物になっています、といったお話をしてくれました。
ぷれいす東京の生島さんは、U=Uのことに触れて、治療は進んでいるけれども偏見は減っていないと話し、北陸地方で以前、団体とゲイバーにご協力いただき、800もの郵送検査キットを配布できました、何人かの方が陽性だと判明しましたが、それに向き合う人が他の地方より少なめだったということがありました、HIVのことだけでなく薬物使用のことも深刻です、とも話してくれました。
同じく加藤さんは、この地にもきっとHIV陽性の方がいます、私は幸いオープンにして暮らしていけています、林先生とは東京エイズウィークスの合唱コンサートでご一緒しました、今日は、林先生の思いと一緒に歩きます、と話してくれました。
最後に日本ベアクラブの会長の方が登壇し、クマ(Bear)を愛でる同好会として1994年に設立し、海外ともつながっている、サンフランシスコのパレードも歩いた、会員のみんなと沖縄から北海道まで旅行したりもしました、このフラッグは世界で2番目に作られた貴重なフラッグです、といったお話をしてくれました
午前中は雨模様で、台風の影響で雨の中のパレードになるのでは…とも心配されていましたが、次第に晴れてきて、出発の頃には日も差していました。レインボーフラッグやさまざまなプラカードを持った参加者のみなさんは、大通りで信号を渡り、商店街をゆっくりと行進しました。人々の反応は意外にも、とても温かいものでした(お店から出てきてレインボーフラッグを振ってくれる老夫婦の姿などもあり、感激しました)






























ウエストプラザに戻ると、スタッフの方たちや先に着いた方たちが「おかえり」と出迎え、和やかでアットホームな雰囲気でした。
最後にダイバーシティラウンジ富山のなかがわさんがご挨拶し、集合写真を撮って閉会となりました。

とやまプライドマーチを振り返って
初めて林さんとなかがわさんにお会いしたのは2018年の青森レインボーパレードでした。青森レインボーパレードの宇佐美翔子さんが掲げた「故郷を帰れる街にしたい」というメッセージに賛同した富山のお二人は、車で長い距離を運転して青森まで来てくださり、「故郷を帰れる街にしたい」という言葉をのぼりにしてパレードを歩いたのでした。
それ以降も、林さんとなかがわさんの姿を、東北や、地方で開催されるパレードのあちこちで目にしました。
しかし、あるときから、なかがわさんが一人でパレードを歩くようになりました。林さんが2024年1月に急逝したからです。
「故郷を帰れる街にしたい」というのぼりには、(私のように)この街では生きていけないと都会に出て行ったLGBTQの人たちがたくさんいること、地方でのLGBTQの生きづらさを解消し、この街でも生きていけるようにしたいという切実な思いが込められていました。しかし、その言葉を生み出した翔子さんも、その言葉を掲げて歩いた林さんも亡くなってしまいました。遺された私たちは、その思いを受け継ぎ、できることをやっていこう。なかがわさんや富山のみなさんが今回、パレードの開催を決意したのは、そういう意味もあったんじゃないかと思います。
なかがわさんは朴訥とした、本当に真面目な方ですが、その後、東京でパレードが開催されるときだけでなく、二丁目のゲイバーやイベントでもなかがわさんとお会いするようになりました。聞くと、「林先生がよく来てたお店なので」と…。
今回、青森や福島や各地のパレードの主催の方たちだけでなく、日本ベアクラブの会長さんが来てくださったのも、なかがわさんが林さんの足跡を辿るようにいろんなところに顔を出し、つながりをつくってきたおかげだと思います。頭が下がります。
今回、オンライン中継があったり、スピーチでも会場に来られなかった方のためのメッセージが強調されていたりしました。
とてもじゃないけど地元では歩けないという気持ち、よくわかります。私が生まれ育った東北も同じです。でも(お隣の石川県の金沢がそうであるように)何年もパレードをやっているうちに、世間がこんなにフレンドリーに変わって応援してくれるようになったと実感できて、歩く勇気が持てたり、楽しそうだし友達も歩くし僕も一緒に歩いてみようかなと思える方が現れたり、少しずつ、そういう「BRAVE WALKER」が増えていくと思います(※「BRAVE WALKER」は2002年の東京のパレードのステージでGaleというゲイのユニットが演奏した曲のタイトルです)
故郷が「帰れる街」になるためには誰かがカミングアウトして社会を変えていかなければいけないけれども、その先頭に立つ方たちはものすごい世間の侮蔑や差別や風当たりに直面しがち(地方であればなおさら)…それを覚悟しながらも今回、富山でパレードを歩いたみなさんに、心から敬意を表するものですし、その活動を後方で支えたり、後に続く方たちもまた、同じようにヒーローなんだと思います。
いつか、富山城の夜間のライトアップでPRIDEの文字が映し出されたり、富山駅前とか路面電車にプライドマーチの案内が出たり、美しい富山の街を音楽とともにパレードしたり、そういう日が来るといいな、と思います。
(後藤純一)
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