REVIEW

"LGBT"以前の時代に愛し合い、生き延びてきた女性たち――映画『日常対話』

"LGBT"や"レズビアン"という概念のない、激しく男尊女卑だった世の中で、愛し合い、生き延びてきた女性たちの姿をとらえた貴重なドキュメンタリー。いろんな意味で衝撃的であり、感動的でもあります。

『日常対話』は、2016年の金馬奨最優秀ドキュメンタリー賞にノミネートされ、2017年にはベルリン国際映画祭のパノラマ部門で上映され、テディ賞(最優秀LGBTQ映画賞)の最優秀ドキュメンタリー映画賞、台北映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した作品です。台湾の巨匠・侯孝賢(ホウ・シャオシェン)が製作総指揮を務めています。レビューをお届けします。(文:後藤純一)






 「small talk」という英題がついていましたが、少しも「small」じゃなかったです。
 「ネタバレ」にならないよう、「対話」の内容についてはあまり詳しく書きませんが、すべてが家族のことで占められているホームビデオのような記録映画なのに、衝撃を禁じえない内容でした。逆に、一家族の物語のなかに、このような衝撃的な話が眠っていたことが凄まじく、しかもそれがごくありふれた家族の物語であり、このような思いをしている女性たちがどれだけいるのか…と容易に想像できてしまうところがさらに衝撃的でした。
 家父長制や異性愛規範がいかに女性(同性愛者だろうと異性愛者だろうと)を苦しめてきたかということ、今では同性婚が認められているような台湾でさえ、こうした現実があったということを思い知らされ、胸に迫るものがあります。
 一方で、"LGBT"という概念以前の、同性愛者の権利もへったくれもないような厳しい時代に、都会へと逃げてきた女性たちが愛し合い、生き抜いてきたという真実の、鮮烈なインパクト、そして、彼女たちの溌剌とした明るさにも感じ入りました。古来より、人々はこうして同性どうしで愛し合い、支え合ってきたのかもしれません。
 僕らがこれまで観てきたLGBTQ映画は、いわば「ストーンウォール以降」の作品だったわけですが、この『日常対話』という映画は、初めてゲイ解放運動以前の同性愛者の生き様を伝えてくれたのではないかと思います。
  
 この映画を撮っている「私」ことチェンさんの母親・アヌさんは、台湾中南部の貧しい農村に生まれました。親の勧めで見合い結婚をさせられますが、相手の男はギャンブル狂で、アヌさんが稼いだお金もギャンブルに注ぎ込み、家族に暴力を振るうので、アヌさんは小さな娘2人を連れて逃げます。逃げた先の町でチェンさんは、戸籍謄本を取れないがゆえに小学校に通うこともできず、アヌさんは葬式を執り行う道士という仕事をしながら娘たちもそこに参加させ(きれいな服を着てパフォーマンスしたりします。日本の葬式とはだいぶ異なる文化です)、シングルマザーとして娘たちを育て上げました。一方で、周囲に隠すことなく女性を愛し、奔放とも言えるくらい盛んに女性と恋し、子育てよりも「女にいれあげる」ような面もありました。チェンさんはそんな母親にきちんと「愛してもらえなかった」という思いを抱いており、同じ家で暮らしていてもどこか他人どうしのような関係になってしまったことから、「撮影だから」という大義名分を掲げることで初めて、アヌさんと正面から向き合い、本音で様々なことを話し合うことにするのです。
 
 娘とアヌさんが台湾高速鉄道に乗ってアヌさんの親族に会いに行くシーンがありましたが、そこは(台北がどこか昭和の頃の日本の街と似ているように)日本の昭和の農村の姿そのものであり、地方出身者の方はきっと生まれ故郷を思い出すことでしょう。そこで語られた話は、とても他人事ではなく、あまりにもリアルで、切実でした。
 私事になりますが、青森県の弘前という町で私を産んだ母親(昭和18年生まれ)が、昨年「弘前でパートナーシップ制度が認められたんだよ〜。東北初だって」と伝えたところ、びっくりして、喜んでくれたのですが、後日、「実は同級生の女性から聞いたことがあるのだけれど、彼女の旦那さんのお姉さんにあたる方が、若いときに女性とつきあっていて、しかし(何十年も前の青森の田舎ですから)世間が許すはずもなく、無理心中したそうで…相手の人は亡くなったけど、その方は生き残ったんだそうよ」という話を急にしだして、こちらがびっくりしたという出来事がありました。
 私たち世代の同性愛者も様々に苦悩し、大変な人生を送ってきたかもしれませんが、こうして生き残っています。しかし、もっと上の世代の同性愛者の方たちは、死を選ぶしかないくらい、追い詰められていた人がたくさんいたんだと思います。
 この映画のアヌさんは、そういう世代の方でした。「同性婚」以前の、「同性愛者」という言葉すらなかった時代を生き抜いたのです。
 
 エンドロールの最後に、新北市(台北市を取り囲む大きな市で、LGBTQもたくさん住んでいます)の文化局がお金を出していることが示されていました。台湾で同性愛関連の映画が本当にたくさん製作されているのは、こうした公的な支援があればこそ、でもあります。おかげで、これまで歴史の闇に埋もれそうになってきたアヌさんのような方の人生をフィルムに収め、貴重なドキュメンタリーとして世界に届けることが可能になりました。そういう意味でも台湾は、本当に進んでいると言えます。
 
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 たまたまというか、運がよかったのですが、私が観た回に、台湾の同性婚についてのオーソリティである鈴木賢明治大学教授(「なぜ台湾で同性婚が実現したか」についての本が近日中に出る予定だそうです)のトークショーが付いていました。簡単に内容をご紹介します。
 
・この映画で描かれていた世界は、台湾に詳しい(パートナーも台湾の方である)鈴木賢さんも知らなかったそうです。今でこそ同性婚が認められるくらいのLGBTQ先進国ですが、一皮剥けば(ちょっと前までは)こういう世界だったということ。都会と農村地帯の差の激しさ。
・ジェンダー格差の激しさ。女性は結婚するしか生きる術がなく、相手を選ぶ自由もなかった。多くの女性たちは夫の暴力に遭い、女性たちが逃げて、助け合って生きてきたということ。それは異性愛女性も同性愛女性もそう。選択肢が与えられず、世間が女性たちを縛ってきました。本当は何がしたいのかわからないまま人生を終えてしまう方も多かったはずです。
・アヌさんは女性たちと恋をしていますが、レズビアンなどという言葉は知りませんでした。高等教育を受けていないアヌさんは、自分のセクシュアリティについて語る言葉を持ち合わせていなかったのです。
・この映画で話されているのはほとんどが台湾語で(北京語が堪能な鈴木賢さんも、全く理解できなかったそうです)、若い人たちは都会に出て、北京語でセクシュアリティについての言葉を学び、規範を変える力を獲得できますが、この映画に登場する人たちはそこから排除されているのです。
・アヌさんが、セクシュアリティについて「誰も関心ないでしょ?」と言って語ろうとしなかった、それを「恥」だと感じていました。その根底には、世間に根付く儒教の影響もありました。宗教によって苦しめられ、「PRIDEを奪われている」状態。語ることができないと、PRIDEを持つことができず、追い詰められてしまう。LGBTQの自殺率が高いのは、そういう理由でもあります。
・一方で、アヌさんはレズビアンでよかったかもしれないとも思います。いろいろ大変なこともあったけど、何人もの女性と恋をして、必ずしも不幸じゃなかった、逃げ場がありました。アヌさんの魅力や実力のおかげでもあると思います。
 
 短い時間のなかで実に的確に、この映画の意義や、背景にある様々な事柄を教えてくださって、ウンウン、とうなずくことしきりでした。お話を聞けて本当によかったです。

 
 
 
日常対話 
原題:日常對話 英題:Small Talk
2016年/台湾/88分/配給:台湾映画同好会/監督・撮影:黃惠偵(ホアン・フイチェン)/製作総指揮:侯孝賢(ホウ・シャオシェン)
ポレポレ東中野で上映中
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