REVIEW

心ふるえる凄まじい傑作! 史実に基づいたクィア映画『ブルーボーイ事件』

1960年代、街の浄化を目的に、検察が性別適合手術を行なってきた医師を逮捕・起訴するという事件が起こりました。実際に医師から手術を受けたトランス女性(“ブルーボーイ”)たちは、勇気を振り絞り、自らの尊厳と誇りをかけて法廷に立ち、証言します…彼女たちのそれぞれの葛藤や思い、生き様に胸を打たれること必至の、心ふるえる感動作です。中村中さんら当事者のキャストの活躍も素晴らしかったです

 こちらのニュースでもお伝えしていたように、ブルーボーイ事件は1960年代に実際に起こった事件です。高度経済成長を遂げ、東京オリンピックも控えた日本では、街の浄化運動が盛んになり、警察は売春の取締まりも強化していました。摘発を受けた人たちのなかには性別適合手術を受けたトランス女性、通称“ブルーボーイ”も含まれていました。法的には“男性”であるがゆえに警察は取り締まることができず、警察や検察は手術を行なった医師を逮捕し、違法性を問うことで「元を断とう」としたのです。裁判には、実際に手術を受けた証人たちが出廷しました。
 戦後LGBTQ史における非常にショッキングな事件としてコミュニティに記憶されるこの事件を映画化するに当たり、自身もトランス男性である飯塚花笑監督は、「この物語を描くには当事者によるキャスティングが絶対に必要」という強い意志のもと、トランスジェンダー女性の俳優を2ヵ月に及ぶオーディションによって選出しました。主人公・サチ役には、ドキュメンタリー映画『女になる』への出演経験を持つ(演技をして出演するのは初めての)中川未悠さんを起用し、そのほか歌手としても有名な中村中さん、ドラァグクイーンとして活躍するイズミ・セクシーさんなども出演しています。
  
 飯塚監督はこうコメントしています。
「『ハタチ過ぎたら誰もがみんな自殺だわね…』これは『ブルーボーイ事件』の映画化にあたり、資料の山に埋もれていたときに出会った1950年代のゲイバー(当時はゲイバーと表現されていたお店で)に出入りしていた、一人の名もなき性的マイノリティの言葉です。いやに昭和的な口調と、ルポ本に添えられたスナップ写真がこの言葉に重みを付け加え、いまもずっと私の胸のなかに居座っているように感じます。この映画でトランスジェンダー当事者の俳優を主演に起用し、オリジナル作品として取り組むことを心に決め、走り始めてから6年余り。映画が完成したいま思うのは、ずっとこの日本の社会の中に存在していたのに、無かったことにされて来た声たちが私を突き動かしていたのだということです。『ずーっとここにいたんだよ…』この映画が広く、そして深く皆様の心へ届きますように。この物語は私たちの物語であり、“貴方”たちの物語です」
 
 飯塚花笑監督は、トランスジェンダーである自身の経験をベースにした『僕らの未来』が、ぴあフィルムフェスティバル PFFアワード2011において審査員特別賞を受賞し、国内外で高い評価を得たのち、トランス男性の主人公とその彼女が、結婚して人生を共に歩みたいと望むも、様々なハードルが…というリアリティをそれぞれの視点で描いた恋愛ドラマ作品『フタリノセカイ』、ゲイで、ミックスルーツで、父親が家にいなくて、母親はフィリピンパブで働いていて…という群馬の男子高校生が、やり場のない怒りを母親にぶつけながら自分の手でなんとか道を切り開こうともがく姿を熱く描いたヒューマンドラマ作品『世界は僕らに気づかない』という素晴らしい作品を世に送り出してきた方です。どの作品もクィアを描いた作品であるというだけでなく、近頃の日本映画では珍しいかもしれない、人間的な感情を大きく揺さぶるような熱を帯びた作品です。
 
 当時の社会状況や事件について徹底的に調査し、裁判での証言を決意したサチを主人公に物語を構想した飯塚監督の渾身の企画に惚れ込んだのが、『深夜食堂』シリーズをはじめ、『アヒルと鴨のコインロッカー』『岸辺の旅』『月の満ち欠け』など数々のヒット作を手がけてきた映画プロデューサーの遠藤日登思さん。飯塚監督らと何度も脚本の改訂を重ねながら、この『ブルーボーイ事件』を完成させました。
 日活とKDDIという大手がこの映画を配給しています。
 
<あらすじ>
1965年、オリンピック景気に沸く東京で街の浄化を目指す警察は、街娼たちを厳しく取り締まっていたが、ブルーボーイと呼ばれるトランス女性のセックスワーカーの存在が警察の頭を悩ませていた。彼女たちは戸籍上男性のままであり、現行の売春防止法では摘発対象にならないからだ。そこで検察が目をつけたのが性別適合手術だった。生殖を不能にする手術は優生保護法(※現在は母体保護法)に違反するとこじつけ、ブルーボーイたちに手術を施していた医師の赤城を見せしめで逮捕し、裁判にかけたのだ。
同じ頃、東京の喫茶店で働くサチは、恋人の若村からプロポーズを受け、幸せをかみしめていた。そんなある日、弁護士の狩野がサチのもとを訪れる。サチは赤城医師の執刀で性別適合手術を受けており、最後の仕上げの施術を目前に控えていた。赤城の弁護を引き受けた狩野は、証人としてサチに出廷してほしいと依頼する。恋人にも迷惑がかかり、今の幸せが壊れてしまう…と証言を拒んだサチは、残りの手術を引き受けてくれる新たな医師を探すうち、かつて働いていたゲイバーでの同僚・アー子と再会する。自身がママとなるバー「アダム」を開くために奔走するアー子は、すでに裁判での証言を決めていた。一方、ブルーボーイたちの元締めとして働くメイも証人を引き受けるが、彼女はこんな裁判は茶番だとバカにする…。











 
 凄い映画でした。ひさびさに魂を揺さぶられました。ブルーボーイ事件という過去にあった事件に基づき、当時の社会状況のリアリティを伝え、昔は大変だったけど、今はだいぶ良くなったよねと思わせるような作品かと思いきや、全くそうではなく、予想の何倍も深く、多面的な作品でした。「トランスジェンダーとして生きるとはどういうことなのか」という本質的なところは今も全く変わってないということをひしひしと感じさせるとともに、「クィアを殺すものは何なのか」を浮かび上がらせることで今の社会に警鐘を鳴らすようなシーンもあり、感銘を受けました。それでいて登場人物たちと一緒に笑ったり泣いたりできるような、実に人間味あふれる魅力的な(たとえて言うと「寅さん」のような)エンターテイメント作品でもあって、こんな離れ業、飯塚さんにしかできないと感服しました。心から拍手を送りたいです。
 
 この映画の凄さは、シスジェンダーの人々が思う「トランスジェンダー像」に揺さぶりをかけ、本当は当事者はこう思っている、トランスジェンダーだって人それぞれ違うし多様なのだということを、これ以上ないくらい見事に表現したところです(メジャー作品でこういうことを描いたのは初めてじゃないでしょうか。歴史的だと思います)。戦後のあの時代から現在に至るまで、当事者は一枚岩ではなかったし、さまざまな苦悩がある、けれども、ささやかな日常に幸せを感じたり、泣いたり笑ったりしながら暮らしている、その姿は他の人と全く変わらないし、同じ社会に生きる人間なのだということが、これ以上ないくらい見事に描かれていました(正直、サチがプロポーズを受けるシーンは泣いてしまいました。きっとみんな泣くと思う。心から幸せになってほしいと願うはずです)

 そして、もう一つ、この映画が凄いのは、男とか女という「型」に押し込めてトランスジェンダー(だけじゃなくゲイもレズビアンもみんなそうです)を苦しめ、殺してしまう社会の、その根本のところに何があるのかということを鋭く追及し、その正体を浮かび上がらせているところです。図らずもと言いますか、奇しくも、今、この時代に、この映画が投げかける問いの重みが、あるシーンの存在によって、何倍にも増しています。

 さらに凄いのは、オーディションで選ばれた当事者の役者さんたちです。愛する恋人とのささやかな幸せを願い、できるだけ波風立てずに暮らしていきたい、けれども、ある出来事がきっかけで、勇気を振り絞って(プライドを持って)証言台に立つ決意をするサチを演じる中川未悠さん、世間を信用することなく自分の力で生きていこうとする気高くも毒を放つ妖艶なメイを演じる中村中さん(Xの投稿で「メイさんが言わんとしている事、私には身に覚えがある事ばかりでした」と語っていて、あの役にはご自身の思いも込められていたんだな…と)、メイに“ブス”と罵られたりしながらも自分のお店を持つという夢に向かって奮闘する、きっぷのいい姐御肌のアー子を演じたイズミ・セクシーさん(法廷のシーンでの演技、凄かったです。魂を揺さぶられる名演でした)
 フランソワ・オゾンの『8人の女たち』という映画が、あまりにも素晴らしかったので、主演女優8人全員がベルリン国際映画祭で揃って「最優秀芸術貢献賞」を受賞したという前代未聞の素敵な快挙を成し遂げたのですが、『ブルーボーイ事件』の3人もそういうふうに海外の映画賞や日本アカデミー賞で揃って受賞したらいいな、と思いました。それくらい、素晴らしかったです。(こちらの投稿にもあるように、みなさんが東京国際映画祭のレッドカーペットを歩き、拍手を浴びたのは本当に素敵なことでした。でもこれからもっともっと大きな舞台が待っていると思います。そうなってほしいです)
 
 もしこれが飯塚監督じゃなかったら、アンダーグラウンドな裏社会に生きる昭和の“おかま”たちの群像を面白おかしく、あるいは過剰に“かわいそうな”人として御涙頂戴的に描くような、陳腐な映画に堕していた気がします。飯塚監督だからこそ、あのようなものすごくシリアスで本質的なテーマをメジャーなエンターテイメント映画として仕上げるという超難度の離れ業をやってのけることができたんだと思います。
 これまでもトランス女性を描くメジャー作品はいろいろあって、世間に(あるいは海外でも)称賛されたりしてきましたが、当事者からの「リアルじゃない」「なぜ男性の俳優がトランス女性を演じるのか」といった批判は免れませんでした。ここにきて初めて、当事者の監督が、当事者の俳優を起用して、当事者目線を貫いて、魂とプライドを込めた渾身の作品(メジャー作品)を撮りあげるという快挙が達成されたのです。これは事件です、と言っても過言ではないでしょう。ブルーボーイ事件も戦後LGBTQ史上の大事件ですが、映画『ブルーボーイ事件』は戦後LGBTQ映画史上の大事件なのです。
 
 映画の冒頭、昭和の時代の日活のオープニングロゴ(を模した)映像が流れます。あの吉永小百合さんや石原裕次郎さんをはじめ昭和の日本映画を代表する俳優や作品を次々に世に送り出してきた日活です。この映画はそういう最も輝かしかった時代の古き良き日本映画の系譜を受け継ぐ作品なのだと宣言されているかのようでした。感慨深かったです。
 日本映画界に堂々と正面から、こんなにも深く性の多様性の真髄を描き、クィアを抑圧するものの正体を暴く作品が、この今の時代に現れたことの意義は計り知れません。
 一昨年『エゴイスト』が席巻したように、『ブルーボーイ事件』は今年最も注目を集めるクィア映画となるでしょうし、間違いなく、長きにわたって名作と称えられる映画になるでしょう。

 ぜひこの「事件」を、映画館で目撃してください。


ブルーボーイ事件
2025年/日本/106分/配給・宣伝:日活、KDDI/脚本:三浦毎生、加藤結子、飯塚花笑/監督:飯塚花笑/出演:中川未悠、前原滉、中村中、イズミ・セクシー、真田怜臣、六川裕史、泰平、渋川清彦、井上肇、安藤聖、岩谷健司、梅沢昌代、錦戸亮ほか
11月14日(金)より全国ロードショー公開

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