GLOSSARY

LGBTQ用語解説

プライドパレード

 1969年6月28日未明、ゲイバーに警察が踏み込み、いやがらせのように(すでにゲイバーは違法ではなくなっていにもかかわらず)客を逮捕することが続いていた(逮捕されて新聞に載ると、会社をクビに…それはほとんど社会的死を意味していました)NYのクリストファー・ストリートのゲイバー「ストーンウォール・イン」で、それまではなすがままになっていたゲイ※1たちが「何も悪いことなんてしていないのに、どうしてこんな目に遭わなくちゃならないんだ!」と怒り、ついに蜂起しました(ストーンウォール暴動と言います)。すぐに「ゲイ解放戦線」が結成され、5日間にわたって抗議が続き、このニュースは「ヘアピンの落ちる音が世界に響き渡った」という見出しで世界を駆け巡り、ゲイ解放運動のブレイクスルー※2となりました。

※1 当時、レズビアンやトランスジェンダーの方なども含め、セクシュアルマイノリティの総称としてゲイという言葉が使われていました。
※2 ストーンウォール暴動が最初の抵抗運動だったわけではありません。『LGBTヒストリーブック』によると、最初に記録されているのは、1959年、LAの「クーパーズ・ドーナッツ」というお店で警察が2人の客を連行しようとして他の客たちがドーナツを投げ始めた、というものです。

 1970年6月28日、ストーンウォール1周年を記念して、NYで「Christopher Street Liberation Day 1970」という大規模なマーチが開催されました※3。NYだけでなく、シカゴやサンフランシスコやLAでも開催されました。このときの実行委員会は、ゲイたちが自身のセクシュアリティやジェンダーを肯定し、誇りを持てるようになることが大切だと考え、デモだけでなく1週間の「Pride Week」を設けました。これがプライドの発祥とされています。
 プライドパレードは初めはデモ行進のような雰囲気でしたが、1978年に(前年、ハーヴェイ・ミルクがサンフランシスコ市政執行委員に当選したこともあり)サンフランシスコのパレードで初めて、ギルバート・ベイカーのデザインによるレインボーフラッグが掲げられて盛大にパレードが行われたり、ゲイのクラブ・カルチャーとミックスしてドラァグクイーンやマッチョな男性たちを乗せた派手なDJフロート(山車)が盛り上げるようになり、次第に現在のような姿になっていきました。

※3 これが最初のデモだったわけではありません。『LGBTヒストリーブック』によると、ゲイの権利を求めるデモは、1965年、ホワイトハウスの前で行われています。数十人がプラカードを持ってぐるぐる回るというかたちでした。

 やがてプライドパレードは海を渡り、ヨーロッパやオーストラリアなどでも開催されるようになり、80年代から90年代にかけて、世界中に広まっていきました。
 現在では、数百万人が参加してカーニバル状態で盛り上がるサンパウロのPARADA、世界一派手なパレードと言われるシドニーのマルディグラ 、運河を船でパレードするアムステルダム・プライドなど、特色のあるパレードが観光客を呼び込み、各国の一大イベントとなっています。
 アジアでは、同性婚が認められた台北(昨年は20万人規模でした)や台湾の各地、東京をはじめとする日本全国、ソウルをはじめとする韓国の各地、マニラ、ムンバイ、テルアビブなどでもプライドパレードが毎年開催されています。

 欧米の、LGBTの法整備がかなり進んでいるような国では、権利擁護を求めるデモとしての性格は薄れ、コミュニティの祝祭、あるいは企業や団体のアピールの場として開催されるようになっています。

2019年に開催されたストーンウォール50周年を記念するNYCのワールドプライドは、世界中から400万人もの人が集まり、パレードは深夜まで及びました。フロートの派手さ、スゴいです…



<日本のプライドパレード>

 
 日本で初めてのプライドパレードは、東京で1994年8月28日に開催された「東京レズビアン・ゲイ・パレード」です(残念ながらアジア初ではありません。その数ヶ月前にマニラで開催されています)。初めは、どんな反応にあうか…と恐れ、パレードを歩く人はごくわずか(数十名)だったそうですが、沿道で見守っている方なども合わせて、帰着地点の公園には数百名が集ったといいます。25年後には20万人が集うようになろうとは、この時は誰も想像していなかったことでしょう。
 1996年には、札幌でもレインボーマーチが始まりました。札幌のレインボーマーチは、初めてにぎやかなDJフロートが出走したり、初めてバルーンリリースを行ったり、初めて市長さんが来て挨拶するなど、パレードの楽しさや感動を向上させる素晴らしいことを次々に実現してくれました。

 東京のパレードは、東京レズビアン&ゲイパレード(2000年〜)、東京プライドパレード(2007年〜)、東京レインボープライド(2012年〜)と名称が(主催団体も)変わっていきますが、だいたい3年やってしばらく休むという、断続的な開催になっていて(それだけ大変だったということです)、東京でパレードがない年も、札幌ではレインボーマーチがあって、日本のプライドパレードの灯をともし続けてくれました。


2003年、自治体の首長として初めて、上田文雄札幌市長(当時)が来場し、「札幌はみなさんを歓迎します」とスピーチしました。パレードの参加者の方たちは涙を流しながらスタンディングオベーションしました。歴史的な瞬間でした

 2006年には、大阪で関西レインボーパレード(関パレ)がスタート、また同年、神戸で、地元のお祭りに一フロートとして参加するという新しいスタイルのパレードが開催されました(福岡市、沖縄市、津市などでも同様のスタイルのパレードが開催されています)
 2012年には、名古屋で虹色どまんなかパレードが開催されるようになりました。
 2014年には、福岡で福岡レインボーパレードが開催されました(2015年からは九州レインボープライドが開催されています)
 札幌では2013年、ずっと日本のプライドパレードを支えてくれたレインボーマーチがいったんファイナルを迎えましたが、2017年、新たなスタッフの方たちが新しいレインボーマーチを始めました。
 2014年には、青森という、決してLGBTへの理解が浸透しているわけではない、当事者の多くが生きづらさを感じている街で、「青森レインボーパレード」が始まりました。最初はたった3人で、逃げるように商店街を歩いたそうですが、5周年となる2018年には全国から173人もの人たちが集まり、地方に暮らすLGBTの方たちを勇気づけました。
 2017年には熊本で、2018年には盛岡でレインボーパレードが初開催されました。2019年には宮崎、丸亀、明石などでも初開催されました。
 こうして、プライドパレード(日本ではレインボーパレードと呼ばれることが多くなっています)は都市部だけのものではなくなり、今や全国各地で開催されるようになっています。


2000年の東京レズビアン&ゲイパレード。ゲイ雑誌『バディ』が東京で初めて華やかなDJフロートを出走させました。後夜祭として二丁目でレインボー祭りが開催され、まさかの花火が上がり、数千人の参加者が号泣。記念的な1日となりました。

 

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